レールから外れる人生も悪かない!人生は私が主人公!

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人生、いままで振り替えたことはありますでしょうか。

わたしは、これまで至って平凡な、ただレールの上を歩んできただけのフツーの人生を送ってきました。

 

いわゆる真面目くんで、社会のレールから一切外れたことがありません。

そんな私の人生を、いったん今の時点でまとめ、これからどうしていくのかを整理したいと思います。


友達がいなかったから、笛を吹くしかなかった小学生時代

小学生の頃はよくやんちゃしていました。

私は、いま私が見ても、迷惑なやつでした。とにかく目立ちたくて授業を抜け出して浮いてみたり、授業中にやたら騒いで先生や周囲の人を困らせてみたり、女子にちょっかいを出して泣かせたりしていました。

(皆さん、その節は本当にごめんなさい)

 

そんな風に性格が悪かった私には、友達と呼べる人はいませんでした。

これと言ってネタもない、しょうもない小学校生活を送っていました。

 

ただ、1つのだけ話とすれば、たった1つのことに熱中しました。

 

それは、リコーダーです。

友達がいなかった分、とにかく中休み・昼休み・帰宅中は歩きながら、とにかく狂ったようにずっと吹いていました。

近所では、小学校の下校を知らせる「笛吹大使」と呼ばれていて、意味は分かりませんでしたが、得意気にずっとリコーダー吹いてました。

 

まあ、リコーダーが出来たところで、当然モテるはずもなく、6年間で全く友達は出来ない陰キャラ生活を送っていました。


私以外が全員敵だった中学生時代

中学生の頃から、1日の時間がめちゃくちゃ長く感じました。

授業の合間の休み時間、お昼の時間、授業の移動の時間が嫌でした。

毎朝「今日も学校行かなきゃなんないんだ」と思うと、とても憂鬱な気分になりました。

 

といいますのも、それは突然やってきました。

中学2年生になった途端に、私は学年全員から省かれる様になりました

私にも原因はあったのかなと思うのですが、その他にも色々なことが重なってしまいました。

「周りは中2が一番楽しかった」と言っていた中、実は私は「どんな授業をしたのか」「誰とつるんでいたのか」「担任が誰だったのか」など思い出せません。

記憶からほとんど削除されているのです。

 


そんな中、私の心を唯一救ってくれたのは、ものがありました。

 

それは、インターネットです。

アニメやゲーム、漫画は絶対に裏切らなく、裏表がなく常に綺麗な話しが待っている、感情的にならないなどの理由から、ドはまりしました。

歌は綺麗で聴いていると心が和むし、歌うと気分も晴れました。

 

今日も帰ったら、「あの楽しい私の世界が私のことを待っている!」と思うと、そう考えている時だけが幸せだったのを、今でも覚えています。

 

そんなこんなで、辛かった中学生時代は、インターネットの力によって、うまくやり過ごしました。


周りから外れない、レールの上を綺麗に歩いて行った学生時代

私は「フツーにレールの上を乗った人生を歩もう」と思った高校生からは、中学生の頃の様には浮かれることはなかったものの、本当にフツーの生活をしていました。

そして、高校3年生の夏くらいから、受験勉強を始め、建築系の学部に進学しました。

 

大学生時代は授業をまじめにこなし、結果的に学年でも成績は10番くらい。

デザイン系の授業はトップで通過、でした。

 

これしか書くことがないように、私は本当に綺麗にレールの上に乗った生活をしていました。


今後の人生と働き方に疑問を持った社会人

そんな私が、レールから少し外れてみようと思ったきっかけが訪れます。

それが、就職活動です。

就活ルールで説明会が解禁された3月ごろに、私は建築系の合同説明会に行きました。

 

そこで、私は「絶対いやだ」と強く思い、それよりももっと最先端の技術をしたいと思いました。

ただし、他のものを見る時も、建築のデザインで学んだ「0から1を生み出す仕事がしたい」というという部分だけは、ブラさずに就活を行いました。

 

デザイナーかプログラマがいいなと思っていた中で、私は様々な企業を受けましたが、表面的なノリと笑顔はうまく作れたので、無事第一志望だったIT企業から内定をもらいました。


しかも、プチサービスなのですが、同期が1000人の中、私はたまたま成績1位で入社することが出来ました。私の人生も180度変わったと思いました。

 

入社から半年間の研修を受講。

その結果は、開発成績は1000人中100番台でした。

まあ、よくも悪くもなくといった具合で、無事に開発者になることが出来ました。

 

業務が実際に始まってみると、とてもやりがいがあって、楽しかった。

バシバシ不具合の修正もさせてもらえましたし、内容も問題がありませんでした。

ただ、この時に、越えられない壁があることをここで思い知ります。

 

どれだけ仕事を頑張っても、成績はTOP10に入ることが出来ませんでした。

生産性でいうと、私が1の仕事している間に、TOPの人は200の仕事をしているくらいの差があるんです。

 

程なくして、私は自分に全く自信がなくなりました。

 

また、配属先は超ブラックで、毎日日帰り朝定時出社が当たり前でフィジカル面でもかなり来ていました。

加えて、年俸制であったため、残業代もいて一定額以上は出ませんでした。

 

この時、仕事も成績が出せず、ほとんどの時間を仕事に割かれ、彼女との信頼関係は崩れ、心身ともにあと一歩踏み外したらどうなったか分からないところまで崩れました。

 

会社でふと自分の無力さを思い出しては、トイレなどで泣く程、精神的にやられていましたね。男なのに情けない、とお思いの方もいらっしゃると思いますが、それほどに私の心は参ってしまってました。

 

そんな心身ともにギリギリの生活をしていた矢先に、事件は起きました。

社会人をやり始め、1年半程経ったある日のこと。

 

彼女が入院しました。

 

この時は、幸い何事もありませんでした。

しかし、私はこの時初めて自分の気持ちに素直になりました。

 

この時は、「彼女が大変な時に、なぜそばにいてあげられていないんだ」という不甲斐なさと自分への怒りに近い感情が湧いてきました。

 

「私は何のために働いているのだろうか」という疑問を真剣に考え。

 

いま私自身も辛い思いをしていて社会人生活を送っていて、全く楽しめていないことから、このまま仕事をするのが本当に幸せなのだろうかと、そう思いました。

 

結果的に、私はどうせ生きるなら、好きな時に、好きな場所で、好きな人と、好きなことを、飽きるまでやりたい!。そういう働き方をする、と決めました。

 

決まってからは早く、私はフリーランスのプログラマーや起業家、特殊なスキルを持っているひと。色々な人に会い、話しを聞き、参考にして考えました。

 

そう。

その中でも、すごく楽しそうにしているのが、『ブロガー』でした。

 

あの人達は、毎日SNSで好きなことを呟き、好きなことをしているのに、影響力が大きくて凄い。

しかも、自分が好きなことを仕事にしている。

そこにめちゃくちゃ魅力を感じました。

 

私は、『プロブロガー』になると決めました。

 

とはいえ、いきなり収入が0円になるのは難しいので、働きながらもブロガーを目指せる状態を整えることから始めました。

まず、プロブロガーになるためにまず始めたのは、就労規制の変更です。

 

具体的には、『年俸制の裁量労働型』から『定時勤務型』に変えました。

年収もガクッと下がりましたが、仕事の内容が変わらず、定時で必ず帰れるので、時間を確保する勤務体系に変えました。

 

めちゃくちゃいろんな人から「給料下げるとか意味わからん」「やめておけ」と言われましたが、全て無視しました。

私の未来は、会社でも上司のものでもなく、私のものだということに気づきました。

 

これがうまくいくか、それとも大失敗するかは全く分からないのですが、やらないよりはマシだと思ったので、まずはチャレンジしてみることにしました。

 

そんなこんな経緯で、私は今エンジニアとブロガーの2足の草鞋をいまは履いております。

 

何となくざっくりとした目標なのですが、フォロワーが1000人まで行くか、月収が10万円まで行ったら、私はいまの仕事を辞めようと思ってます。

 

もし、同じように駆け出しのブロガーの方がいらっしゃいましたら、切磋琢磨して頑張っていきましょう!

 

以上がすずかやのプロフィールになります。

 

長文読んでくれてありがとうございます!

では、またね(*^^)v